僕が僕になる場所

心に素直に、心の赴くままに。

手越くんの歌ってみた動画が刺さって抜けない話ー命に嫌われている。ー

こんばんは-!!!!

5月のてごちゃんの活動を備忘録として記事書きたいとか言ってたのに気づいたら6月も半ばで梅雨入りしましたね・・・
ムリ・・・・
この世で嫌いなもの
1位ゴキブリ 2位梅雨 な女なので・・・
ムリ・・・・
って思いながら生きてます。
(雨の日にやさしい気持ちになるましゅだくん見習いて~~~><)

 

本当は国歌独唱から始まり、金木犀、one last kiss、始球式、なにかわからないけど裸のお仕事(言い方)(しかもまだ情報解禁されてない)、ARE U READY、A Whole New Worldと怒濤の贅沢期間を過ごしたので、ちゃんと5月の活動を記録したかったんだけど、転職活動で忙しすぎてそんな時間を取れませんでした★

えへ(´>ω∂`)★

 

ということで、まあ書けなかったしいいか~と思ってたんだけど、、

どうしてもこれは書いておこうと思ったものがあったので今日はその話をさせてください。

Twitterで散々言ってんだけどね。笑

 

5月末日にupされたこちらの動画


www.youtube.com

 

私、再生後数秒でテレビの前で爆泣き。(ガチ)

自分でもびっくりして泣きながら笑ってた。
意味わからんくて。笑
もう歌詞がブスブス刺さって抜けなくて、動画upされてから1時間
ずっと泣いていたしずっと聴いてた。翌日目は腫れた。 

手越くんの歌を聴いて涙が出てくることは今までも経験があるし、
もちろん歌ってみたでもその経験あるよ
(直前にホールニューワールドっていうバカクオリティー高い動画見たときも涙出た)

でもこれはそういうことじゃないというか、
手越くんの歌声と表現ということ以外にも
刺さる要因があると思って。
まあ歌詞なんですけど。
え?私の心の中読んだ?
みたいな歌詞なんですよ、特に2番が。
本当に苦しくて泣き死ぬかと思った。笑

なので今日は、
「手越くんの音楽」ではなくて、
手越くんが歌ってくれたことで出会えた「歌」そのものについてのお話させてください。(元々歌詞分析とかも好きなんよ、、)

あくまで超絶自己投影かつ超主観的解釈によって語るので、そういうのが苦手な人はここまでで閉じた方がいいです><
(歌最高だから動画は見てって♡)

 

※以下、歌詞をグレー、解釈感想を黒字で示します

---------------------------------------------------

 

「死にたいなんて言うなよ。」
「諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。

実際自分は死んでも良くて
周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。

 

冒頭1フレーズで闇かかえてんな~って
わかるのすごいよな。
「死なないで」「生きて」と他人に伝えるのは、その人に生きていてほしい理由は
「自分が」嫌だからっていう利己的なものでしょとこの人は捉えている。

なんでそう思うのかって自分がそうだからなんだよね。
この人は周りが死ぬのがなんで嫌かと言うと「悲しいから」で、「生きて」と他人に伝えるのは、結局自分が嫌な思いをしたくないからだと思っているから、だからこんな歌が正しいなんて馬鹿げてるなと感じるんだよな。

 

他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵なことでしょう。 
画面の先では誰かが死んで
それを嘆いて誰かが歌って
それに感化された少年が
ナイフを持って走った。 

僕らは命に嫌われている。
価値観エゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。

 

片っ端から噛み付いて綺麗事とするこの感じ、最高に思春期でまさに少年。
基本的には生きていればいいことあるから命を手放さないでと思っていた側なので、
すごく生が好きだった側なので、
学生時代にこの感性を持ち合わせていなくて、
でもこういう子いたよな、って思い出す。
きっと生きづらい社会だったんだよな。
冒頭の言葉を綺麗事に感じるその感性、
思春期の尖り方している。

 

お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する。
生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする。

 

ここから「今」(たぶんいい大人)に成長した視点になってると思う。
そしてここの共感がすごい・・・
私事ですが、今年の1月半ばから3月末まで休職していて、4月から復職したけど時短勤務という状況で、とにかくお金がなかった。

すごくリアルな話で申し訳ないんだけど
包み隠さず言うと、
4月に支給されたお給料は、時短ということもあって色々控除されて手取り2万。
生活費が無いどころの話じゃない。
貯金はしていたけどさすがに3か月ほぼ無給はしんどくて、傷病手当も申請していたけど支給されるのは2~3か月先と言われていて、なのに一人暮らしで生活費かかって、
社会から死ねって言われているのかと思った。
本当に神経すり減った。

なるべく支出を抑えようと外出予定を減らし、
1日中家でゴロゴロして過ごしているのに
エネルギーを何にも使っていないはずなのに、
少なくとも1日1回はご飯を食べないとおなかがすいていられなくて、ただ生きるということが物理的にこんなにも辛くてしんどいんだと感じたし、そこまでして生きてる意味って私には今あるのか?って考えてた。

「生きる」ことに対して「コスパ悪いな」っていう感想が出ちゃったのがウケる。
まさに「惰眠」だったし、「無駄を自覚して息をしていた」

 

寂しいなんて言葉でこの傷が表せていいものか
そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る

 

こうやって生きてると、自分以外に生きるためのモチベを求め始めるんだよね。
わたしはそうだった。生きたいとは思わないけど死にたいとも思わない、だから生きるためのモチベが欲しいと思って、自分以外の「誰か」を求め始める、それは一人が寂しいからなんて言葉で埋められるものでは無くて。
でも周りから見れば何を言ってもわたしは結局「寂しい」んだよな。伝わらないんだよこの感情。

 

少年だった僕達はいつか青年に変わっていく。
年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。
不死身な身体を手に入れて、一生死なずに生きていく。
そんなSFを妄想してる

 

ここで面白いのは、生きる意味を見出せないのに、不死身な身体を手に入れいて一生死なずに生きていく妄想しているところだよね。
ここ、すごく面白い。
これは勝手な解釈だけど、
このひとつ前のフレーズは「一人」で生きているんだけど、このフレーズは自分以外の誰かと一緒にいる。
これが僕の中の大きな感情の違いなのかなって思うと胸がぐわんってなりますね。(語彙力)
これ多分、まだ本人はこの違いに気づいていないのもまたいいですよね。
感情なんて自分でも読めないじゃないですか。
そういう人間の「生」のめんどくささが出てて最高です。

 

自分が死んでもどうでもよくて
それでも周りに生きて欲しくて
矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう。

 

少年のころは「周りが死んだら悲しい」だったのが、青年になって「周りに生きて欲しい」に変わったのがすごく良い。

 ここは最後にも繋がるところになるけれど、誰かが死ぬと悲しいから生きていてほしいわけではないんだよね。少年時代は他人が生きてもどうでもいいと思っていたけれど。

 自分が生きる意味はまだ見出せず生に無関心なくせに、周りには生きていてほしいと思っている。これがこの青年が抱えている大きな矛盾なんだけど、こんなことを考えるのもまた一日中ベッドでゴロゴロしているからなんだろうな。

わかるよ、私も一人でぼーっと過ごすたび、同じこと考えてたよ。

 

「正しいものは正しくいなさい。」
「死にたくないなら生きていなさい。」
悲しくなるならそれでもいいなら
ずっと一人で笑えよ。

 

ここの歌詞がわからない。
正しいものは正しくあれ
死にたくないなら生きていろ
に対して
悲しくなるならずっと一人で笑えよ
ここの突然の因果関係の無さに戸惑う。
前2つに倣うなら、悲しくなるなら泣けだと思うんだよね。
でも「そのままでいいなら勝手にそのままでいろよ」って自身を見捨てるような一言に聞える。マジで根拠のない感覚ですが。

 

僕らは命に嫌われている。
幸福の意味すらわからず、
産まれた環境ばかり憎んで
簡単に過去ばかり呪う。
僕らは命に嫌われている。
さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない
僕らは命に嫌われている。

 

さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らないと言うフレーズで、
散々死について語っているのに、
実は当人にとってまだまだ死は遠い存在なんだなとわかる。
表現がお天才・・・

 

幸福も別れも愛情も友情も
滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物。
明日、死んでしまうかもしれない。
すべて、無駄になるかもしれない。
朝も夜も春も秋も
変わらず誰かがどこかで死ぬ。
夢も明日も何もいらない。
君が生きていたならそれでいい。
そうだ。本当はそういうことが歌いたい。

 

最後の3行で突然、自分のシンプルな感情に気づく様が好き。

また言っちゃうけど、人間の感情って本当自分でも読めなくて、ずっともやもやして考えたくないのに考えちゃって勝手に病んで、永遠に答えなんてわからないんだって悲観的になるのに、なんのきっかけかもわからずふと突然、靄が晴れるんだよね。

Cメロも最後の3文までは少年に戻ったんか?ってくらいこの世を憂いて卑下して完全に厨二なのに、突然急にふと自分の本音が見える、まさに人間って感じがする。

 

命に嫌われている。
結局いつかは死んでいく。
君だって僕だっていつかは枯葉のように朽ちてく。
それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺してあがいて笑って抱えて
生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。

 

結局僕が歌いたかったのはここだけなんだよ。
それまでは全部思考の過程。
僕が言いたいのはここだけ。
すごくシンプルで、ずっと考えてた生きる意味とか、自分と他人の死とか、何もクリアになっていないけど、わかったことはただ必死に生きて欲しいということで、ただそれだけを伝えたくて、だから何度も生きてと繰り返している。

 

これも私の勝手な解釈だけど「生きて」「生きて」「生きて」「生きて」って続くのは、人生の数ある「生死」の選択のたびに「生」を選択しろってことだと思うんだよね。ここがすごく苦しい。

死って色んな人に訪れるんだけど、同様に色んな死があると思っていて、積極的に死に向かう(死にたいと思って死ぬ)という意味の死もあれば、生を手放す(生きることに消極的になり死を選ぶ)という意味の死もあって、
この二つは全然違うと思う。

死にたいと思うときも生きる意味が分からず生に疲れたときも、どんな時も常に「生」を選んでくれという願いに感じて、
こんなにも強く生を望まれることに慣れていなくて毎回泣きそうになっちゃうし、生きなきゃという気持ちになる。

最後に生きろ、と言い切るの、
魂の叫びだよね。
生きて、よりも生きろ、の方が叫びやすいもん。そういう表現のちょっとした変化も
心の熱さを感じて涙が出てきちゃう。

生きる意味なんて分からない、生なんてどうでもいい、という歌かなって見せかけて、
実はめちゃくちゃに生を訴えかけてくるアツイ歌なのがずるい。
感情がついていかない。ぐちゃぐちゃに泣いちゃう。

 

生きろと伝えたかった相手に、僕はきちんと伝えられたんだろうか。

---------------------------------------------------

 

自分の今の心境にものすごく近しい歌詞の楽曲だったからすごく刺さって抜けないんだと思ってはいたけれど、いざ文章に起こしてみると感情移入しすぎてるな(笑)

 

でも、この楽曲に出会えたのが今で本当に良かった。学生のときに出会ってもこんなに刺さってなかったと思うし、本当に生きるモチベが無いって話を会う友達会う友達としていて、

イムリーすぎた。

 

この歌を作った人は、この歌を誰に届けたかったんだろう。

 

手越くんは何を思って選曲したんだろう。

 

少なくとも私は、この楽曲に出会えて救われたし生きようと思えた。

音楽はすごい。

 

今、生きることに少しでも苦しさとしんどさを感じている人がいて、まだこの楽曲に出会えてない人がいれば、すぐにでも教えてあげて欲しい。

 

肺に酸素が入る気がする。

 

これからもまだまだ擦るけど、きっと聴くタイミングで感情も、解釈も、たくさん変わっていくんだろうなぁ。

 

 ファーストインプレッションを忘れたくないから、ここに記録しておきます。

 

 本家も貼っとくね♡↓↓


www.youtube.com